島津家墓地

白いところが飛んじゃってますね。

白いところが飛んじゃってますね。

当ブログには、かなりの写真が貼られていますが、あんまり何も考えずにデジカメで撮ったものを即アップしておりました。

この間、携帯から自分のブログを見て写真を大きく表示しようとしたら・・・重たい重たい。

反省です。今回からちゃんとリサイズして載っけるようにします。

さて、今日旭丘神社に行き、「今年もブログのネタにさせてください」とお願いしてまいりました。

帰りに神社の階段をおりると、猫が。人が通っても全然逃げようとしない。何でも数日前から居付いているとか。

さらに、お守り入りのおみくじを引いたら、招き猫が入っておりました。

うむむ、これは何か良いことあるかも・・・。

で、ふと思い立ち都島にある、天長寺へ向かいました。

まさかの旭丘神社関連施設。

まさかの旭丘神社関連施設。

以前鳥居の向こう側にお地蔵様がいらっしゃる所を書いたんですが、そういえば都城に地蔵尊を祀っているお寺があったな・・・と。

旭丘神社から、ヤマエ醤油の工場前を通り、橋を渡って信号を左折。あとは道なりに行って・・・と、龍峯殿の文字が飛び込んできました。龍峯殿の文字の下には「旭丘神社 祖霊社」とあります。思わずハンドルを切って駐車場へ入りました。

祖霊社というのですから、神道でのお墓とか仏壇に当たるようなものですよねぇ。(すみません、たぶんです)

駐車場に入ると、正面に、立派な祖霊社が見えましたが、それより目を引くのが左手に見えるお墓。普通の墓石もありますが、かなり古い墓石が並んでいます。

・・・この場所はもしや・・・。

案内板を見ると、ビンゴ。島津墓地でした。

いや、いずれ行ってみようとは思ってたんですが、ここでしたか。招き猫に招かれちゃいましたかねぇ。旭丘神社でのお参りが早速現実のものとなりました。これは霊験灼かです。

かなり新しい建物です。

かなり新しい建物です。

島津家墓地って書いてありますね。

島津家墓地って書いてありますね。

龍峯殿の左手は、墓地になっていて、普通のお墓もあるんですが、こんな風に多宝塔が並んでいるところも。

龍峯殿の左手は、墓地になっていて、普通のお墓もあるんですが、こんな風に多宝塔が並んでいるところも。

龍峯寺と墓地の間には、「義烈塔」なるものが。第二五代島津久静によって建立されたもので、都城島津家創始から江戸時代初めまでの、同家のために死んだ一族家臣五百五名が刻まれています。

義烈塔について解説されています。

義烈塔について解説されています。

こちらが義烈塔。

こちらが義烈塔。

島津墓地を上っていくと、たくさんの多宝塔や石仏が見られます。

以前紹介した都島公園からこの地に至るまでの丘陵全体が、都城島津家の場所で会ったことが実感できます。

たくさんの石仏と・・・

たくさんの石仏と・・・

多宝塔・宝塔の数々・・・

多宝塔・宝塔の数々・・・

「耳なし芳一」の場面が思い浮かんできました。

「耳なし芳一」の場面が思い浮かんできました。

このあと、天長寺に向かったのですが、そちらはまた次回。

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