興玉神社 -こだまじんじゃ-

イベント情報で載っけた「興玉神社」です。

興玉神社の鳥居を道路から撮影。

興玉神社の鳥居を道路から撮影。

安久というところにあります。安久小学校から入り込んでいく道もありますが、こちらを通るとかなり細い道を通っていかなければなりません。安久保育園を少し三股に向かって行ったところを右手に折れていく道がよいでしょう。

この神社、国の重要文化財に指定されているものがあります。この神社が指定されているのではなくて、神社の本殿にある内神殿が指定されています。

で、この内神殿というのが薬師如来を祀る薬師堂の厨子。神社の本殿に薬師堂の厨子???

これが実におもしろい話で、この厨子は元々ここから一㎞ほど東に行った「正応寺」というお寺にあったもの。ところが明治に入って神仏分離政令の元、廃仏毀釈が起こります。元々は、それまでの神仏習合から神様と仏様を別々に取り扱おうとしたものだったのですが、結果的に仏教に関するものをなくしていくという運動につながってしまいました。

この日は抜けるような青空。鳥居と神木と空の対比がとてもきれいでした。

この日は抜けるような青空。鳥居と神木と空の対比がとてもきれいでした。

御由来書きですが、国の重要文化財であることもしっかり書かれています。

御由来書きですが、国の重要文化財であることもしっかり書かれています。

拝殿の前で子供たちが・・・映像は小さいのですが、念のためぼかしを入れました。

拝殿の前で子供たちが・・・映像は小さいのですが、念のためぼかしを入れました。

当然、この時代の流れの中で「正応寺」も・・・。ところがこの時、住民たちが機転を利かせます。寺にあるから壊される、それじゃぁ神社の本殿に「内神殿」として安置しておけばやりすごせるんじゃないか・・・と。

これが功を奏して、薬師堂の厨子は破壊されずにすんだわけですが、後に調べてみると棟木に「奉造立 薬師如来御圖師壹宇 応永己六年十月七日卯」とあり1399年に作られてものであることがわかりました。

これは、宮崎最古のものらしいです。

御由来が彫られています。

御由来が彫られています。

拝殿です。扉は開放されていて、奥に本殿が見えます。

拝殿です。扉は開放されていて、奥に本殿が見えます。

おみくじとお守り

賽銭箱の横にはおみくじとお守りが・・・。お守りの無人販売を見たのは初めてです。

そんなわけで、この内神殿が国の重要文化財に指定されます。

本殿の位置は高くなっているのですが、拝殿横に石の階段が有り上れるようになっています。

本殿の位置は高くなっているのですが、拝殿横に石の階段が有り上れるようになっています。

拝殿と本殿です。手前に見える石碑が由来の彫られていたものです。

拝殿と本殿です。手前に見える石碑が由来の彫られていたものです。

本殿のアップ。この中に

本殿のアップ。この中に薬師如来の厨子があるのですね。

さて、参詣した折には、拝殿の賽銭箱前に、地元の子供たちがずらりと陣取りゲームに興じておりました。重要文化財のすぐ側で、ゲーム・・・とも思いましたが、それだけ地域に密着した、地元の人にとっては当たり前の場所ってことなんでしょうね。

駐車場側から撮影

駐車場側から撮影

御神木です。対になっているようですが、だいぶ痛んでいるようです。

御神木です。対になっているようですが、だいぶ痛んでいるようです。

駐車場側から都城の市街地が一望できました。

駐車場側から都城の市街地が一望できました。

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