本題に入る前に、
ついに来てくれた人が3000人を超えました!(ワーッ ドンドンドン パフパフパフ〜)
もちろん、IPは変わったりするので、3000人よりは少ないと思いますが、ともかく、こんなにたくさんの人が見に来てくれたことに感謝です。
では本題。旭丘神社です。旭丘と書いて「ひのお」と読みます。
2代将軍徳川秀忠の時代、一国一城令が出されます。この時北郷忠能は、都城の城(都の城)、現在の歴史資料館のある場所から現在市役所のある場所に館を定め移り住みます。
御由来にはこの時にはすでにこの場所に天神様が祀られていた、とあります。
場所は市役所のすぐそば、明道小学校の運動場向かい側にあります。
こんもりとした丘の上に社殿・本殿があり、丘の下、鳥居の前に社務所があり神主さんが常駐されています。
暗くなってから、神社の前を通ると、丘の上の灯籠の明かりが見え、独特の雰囲気を醸し出しています。
手水場も社殿もとてもよく整備され、気持ちのいい空間になっています。
さて、この神社に関しては、個人的に大変興味を持っています。
以前から、旭丘神社の鳥居からまっすぐ進むと上長飯にある小鷹神社に行き当たるな・・・とは思っていたのですが、先日グーグルマップに神社を表示し印刷したものに線を引いてみると・・・。旭丘神社・小鷹神社・御年神社が一直線で結ばれるではありませんか。このラインを今度は逆に西に向かって伸ばしていくと兼喜神社に、さらに伸ばすと財部にある竈神社に行き当たります。
一方、旭丘神社から北東に線を引くと神柱宮、島津稲荷が直線で結ばれ、南西に線を延ばしていくとこれも鹿児島県になりますが天照神社にぶつかります。さらに、北東に向かう直線を宮崎まで延ばすと、生目神社、宮崎神宮、江田神社がその線上に現れます。
まぁ、だからどうしたと言われても困るのですが、旭丘神社がラインの交差する中心にあると思うとおもしろいと思いませんか?旭丘神社は、その草創もわかっていないとのこと、いろんな空想をしてみるのもおもしろいですね。
個人的には、この神社の丘のサイズが古墳サイズに見えてしょうがないのですが・・・。
ちなみに、都城には古墳がたくさんあります。菓子野町~高崎にかけては古墳の宝庫と言ってもいいでしょう。特に高崎は円墳や前方後円墳がとても綺麗な形で残っています。こちらもそのうち紹介できればと思っています。
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