前回書いた旭丘神社の最後に、グーグルマップで、旭丘神社から線を引くと・・・って話を書いたんですが、その続きです。
はじめに断っておきますが、あくまで、素人の想像ですので、まぁ、伝奇小説のネタになるかなぁ…程度に見ていただければと思います。
旭丘神社から、北東に線を引くと神柱神社、島津稲荷と直線で繋がり、その線をさらに延ばしていくと、宮崎神宮、江田神社につながります。
今度は、旭丘神社を中心に南北に直線を引きます。すると、北に伸ばした先に霧島六社の一つ「東霧島神社」にぶつかります。南に向かうと、これは線上から少し外れるのですが「黒尾神社」があります。「黒尾神社」は元々「神柱神社」があった場所です。
次に、北西に直線を引きます。すると「母智丘神社」をかすめて「霧島神宮」にぶつかります。
さて、旭丘神社から「小鷹神社」、「御年神社」をつなぐと一直線につながります。このラインを西向きに伸ばすと「兼喜神社」、「竈神社」とつながります。
ただ、このライン他のラインが南北、北東、北西と、かなり綺麗に方角を示していたのに比べ、綺麗に東西を示していません。ところが、東に向かう線をそのまま延ばしていくと・・・なんと、「鵜戸神宮」にたどり着いたではありませんか。
さて、とても興味深いのは、旭丘神社から北東に伸ばした先に江田神社があること。北東は艮の方角で鬼門に当たります。一方江田神社にはイザナギノミコトが黄泉の国から戻り、禊を行ったという伝説があります。イザナギノミコトはイザナミノミコト達からのがれ黄泉平坂を通って黄泉返る訳ですが、イザナミが追ってこられないように大きな岩で坂道をふさぎます。
これって、イザナギによって「鬼門を封じた」と見ることができませんか?
イザナギノミコトが禊ぎをしたときに、神々が生まれます。最後に生まれた三柱の神々が、天照大神、月読命、 須佐之男命です。
旭丘神社から、北東に進んだときに最初にぶつかるのが神柱神社。祭神は天照大神です。そして、このラインを南西にのばしていくと、小さい神社ではありますが、天照神社にぶつかります。
さて、旭丘神社から、小鷹神社、御年神社のラインの先にある鵜戸神宮。海幸、山幸の神話と関係の深い神社です。豊玉姫が山幸彦との子である鵜茅不合葺命(ウガヤフキアエズノミコト)を生んだといわれる場所です。
江田神社が生命の復活・再生の場であり、魔を封じる場所とするなら、鵜戸神宮は誕生の場所といえるかもしれません。
天海僧正が江戸を守るために鬼門封じをした、という話があります。旭丘神社からすぐの場所に、島津の御館がありました。現在の島津邸も旭丘神社―小鷹神社、御年神社の、ライン上にあります。
島津が鵜戸神宮へのラインを引き誕生の力を引き込む、同時に鬼門の方角に対して、神社を配し鬼門封じを行った…?。
あるいは、旭丘神社の場所自体に、何か守らなければならないものがあった…?。
ね?なんだか伝奇小説が書けそうでしょ?
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