柱宮の鳥居を通り抜け、手水場を過ぎると拝殿です。
さすがに立派な作りですが、施されている彫刻類は、兼喜神社の方がすごい気がします。
神柱宮の紋は五七桐で、境内や社殿のあちこちに見ることができます。桐の紋と言えば、三股の「御年神社」も桐の紋でしたが、あちらは五三桐。因みに、旭丘神社、神柱宮、島津稲荷ラインの端にある宮崎の江田神社も紋は五七桐です。
また、神柱宮の境内には「基柱神社」という末社があるのですが、ここの祭神は「平季基」と「菅原道真」。旭丘神社も菅原道真が祭神でしたね。
ところで、境内内には、大きな銀杏の木があるのですが、そこには「昭和天皇(皇太子殿下時代)御手植公孫樹 大正9年3月27日」の文字が。ん?「皇太子殿下奉迎記念碑」って、どっかにありましたよね。そう、都城の「御年神社」。
そこで「謎の神社 -御年神社-」の時に書いた「男爵 菊池武夫」しをもう一度調べてみます。
すると
- 大正8年(1919年)3月31日:ヨーロッパへ私費留学
- 大正8年(1919年)5月:男爵を襲爵
- 大正9年(1920年)3月15日:帰国
(Wikipediaより)
とあるではありませんか。時期的にはぴったりですね。菊池武夫氏が都城に訪れた皇太子殿下と何らかの関わりがあったのでしょう。思わぬところで、謎の神社の手がかりが見つかりました。
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