さて、今回の神社は「兼喜神社」です。
この神社、都島公園(陸軍墓地)に隣接しています。実は、都島公園には、過去何度も足を運んでいるのですが、兼喜神社は初めての参拝でした。
正直に言いますと、今回、旭丘神社、小鷹神社、御年神社、鵜戸神宮のラインを引くまで、全くノーマークの神社でした。ということは、この神社がこのライン上に位置するってことですね。先のラインを旭丘神社から逆向きに引いてみたら最初にぶつかった神社でした。
で、行ってみた感想ですが・・・この神社を見過ごしてきたのは迂闊!ってことでした。
いやもう、参道に入ったときから圧倒的な雰囲気。都城の他の神社と完全に質が違う感じです。
まず鳥居が違います。
都城にある神社は、ある程度以上の大きさになると、コンクリート製の鳥居が多くなります。しかし、この神社の鳥居、木製です。
そしてこの神社、都城、三股に多い稲荷神社の雰囲気が一切ありません。どちらかというと、日光東照宮的です。(もちろんあんなに規模は大きくありません。あくまで雰囲気として)
そう思わせるのが、社殿に施されている彫刻です。神社の入り口に狛犬などはいないのですが、社殿の左右に阿吽の狛犬が、中央には雲龍が彫刻されています。龍の上には花(牡丹かなぁ)の彫刻。この彫刻のできが恐ろしく良いのですよ。美術的な価値も相当高いのでは?
賽銭箱には都城島津の家紋が入っています。
この神社の祭神は「北郷相久」。つまり、実在の人物が、神様にされて祀られているんです。
元が人間で、死んだ後に神様として祀られるのは、パターンとしてほぼ二つに分かれると思います。一つは他の人にはできないすごいことを成し遂げ、死んだ後に神様として祀られるというもの。もう一つは、非業の死を遂げて周りに怪異が起こって、これを鎮めるために神様として祀るというもの。後者には、菅原道真や平将門がいます。
この神社も、二つ目のパターンに当てはまりそうです。
北郷相久は讒言により無実の罪を着せられ、父時久から攻められます。無実の罪ではありましたが、父親に刃を向けることはできないと、相久は自害して果てます。なんとこの時29才。
後に相久が無実であることを知った時久は、若宮八幡を建立。数回名前を変えながら、現在の兼喜神社になります。
相久が自刃した後、白馬に乗った武者が夜中に現れるという噂も立ったそうで、何か菅原道真に通じるものを感じます。ちなみに、旭丘神社の祭神は菅原道真。うーーん。
さて、神社の鳥居をくぐったところには、御由緒ともう一つ「都城島津を温ねる会」なるところの「趣意」書が掲げられています。「こんなに古くて、歴史的、芸術的価値のあるものがあり、都城を語る上で欠かせない場所なのに、軽く扱われてるんじゃないの?もっと大事にしようじゃないの」という感じでしょうか。いやもう、神社巡りをしていて、全くの同感であります。
会員の名前の先頭に、長峯誠とありますね。前市長で現参議院議員の長峯誠さんでしょうか・・・。
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