都島公園

いやぁ、なんだかすごい嵐ですね。

生暖かいし、風もすごいし・・・。

都島公園の入り口です。道路沿いなんですが、ちょっと奥まっていて見過ごしやすいです。

都島公園の入り口です。道路沿いなんですが、ちょっと奥まっていて見過ごしやすいです。

さて、今回は、兼喜神社のすぐとなりにある、都島公園です。ちょっとした遊具と、広場が有り、小学生が時々遠足に来るようなところです。つまり、かなり大きな広場があるんですね。

入り口自体がちょっと引っ込んでいて、車1台やっと通るぐらいの門を通り抜けると、駐車場があるんですが、気をつけてないと見落として通り過ぎてしまいます。

ところで、この公園、広場の奥に陸軍墓地があります。

「陸軍特別攻撃隊」いわゆる「特攻隊」というと、鹿児島の知覧が有名ですが、実は都城からも「特攻隊」が飛び立っています。当時、都城には西飛行場(現在の都原、西中学校やさくら聴覚支援学校、霧島支援学校の辺り)と、東飛行場(現在の都北町、沖水中学校の辺り)があり、ここから10隊が出撃しました。使われた機体がすべて四式戦「疾風」だったため「都城疾風特攻振武隊」と呼ばれたそうです。

公園案内板ですが、陸軍墓地の注意書きもあります。

公園案内板ですが、陸軍墓地の注意書きもあります。

写真には写っていませんが、左手には遊具のある公園があります。奥に見えるのは納骨堂。

写真には写っていませんが、左手には遊具のある公園があります。奥に見えるのは納骨堂。

体当たりを行う「特攻」という作戦そのもの(特別攻撃隊というのは体当たりでの攻撃のみではないので、一応このような書き方をしました。)は、どこからどう見ても最悪の作戦です。しかし、これで家族を、日本を守れると信じて散っていった20前後の若者たちを思うと、胸が熱くなります。知覧では、彼らの書いた遺書を見ることができますが、初めてそれを見たときには、涙があふれて止まりませんでした。

「はやて」の慰霊碑です。

「はやて」の慰霊碑です。

慰霊碑建立の由来です。

慰霊碑建立の由来です。

慰霊碑です。

慰霊碑です。

慰霊碑の案内です。

慰霊碑の案内です。

「戦後70年」ももうすぐ終わりますね。

陸軍墓地納骨堂です。

陸軍墓地納骨堂です。

納骨堂の案内板です。

納骨堂の案内板です。

 

うーん、嵐がますますひどくなってきた。こりゃ、台風並みですな。

コメント

タイトルとURLをコピーしました