GoogleMapで、「神社」と入力して検索すると、結構小さい神社まで表示されます。
で、いろんな神社を地図上で見てると、色々とおもしろい発見があります。以前に書いた、神社が直線上に配置されている・・・みたいなものもありますし、同じ名前の神社があちこちにあるのもわかります。
実は、前から気になっている神社がありました。
「御年神社」です。「御年神社」と言えば、以前このブログにも書いた三股町宮村にある神社が有名ですが、距離的にはそう離れていない豊満町に同じ名前の「御年神社」があるんです。
先日、興玉神社に行った折、場所が近かったこともあり、少し足を伸していってみました。
カーナビで検索しても出てこなかったため、スマホのGoogleMapを頼りに、細い道を入り込んでいきます。
たどり着いた神社は・・・・。なんか新しい。全部コンクリ製だし。神社というよりこの辺りに多くある「納骨堂」の雰囲気。でも、鳥居は立ってるし、本殿らしきところもあるし・・・。
御由来書きがないかとうろうろしていると、なにやら石碑が。「皇太子殿下奉迎記念碑」・・・何ですと?境内に「皇太子殿下奉迎記念碑」?しかも、この字を書いたのは「男爵菊池武夫」という人らしい。
社殿の側には「御年神社新築記念碑」。なんか、あちこち欠けちゃってます。
完成は「昭和四十四年十一月九日」のようです。新しいと言えば新しいですが、この社殿どう見ても、もっと新しい。もしかすると、ちょっと改築して塗り直したのかも。
謎は深まるばかりでしたが、境内に社務所らしき建物があります。窓を開けて、数人の方が中で作業をされてました。年末から、新年に向けての準備でしょうか。もう、聞いてみるしかありません。
「すみません、この神社の御由来とかわかりませんか?」
「・・・・いやぁ、どうなんだろう。三股の方に御年神社ってあるけどねぇ。すみませんよくわかりません。」
「そうですか、ありがとうございました」
結局、何にもわかりませんでした。祭神すらもわからないという・・・。
唯一の手がかりは、「男爵菊池武男」です。
google先生出番です。おぉ、ヒットしました。
うーん、熊本県出身と書かれているのと宮崎県出身と書かれているのがありますな。陸軍軍人で、貴族院議員(男爵議員)というのは共通しています。没年は1955年(昭和30年)12月1日。
ん?鳥居に彫られていた文字「昭和三十一年四月二十四日建立」。菊池氏の没年から半年と経っていませんな。
これ・・・もしかして、あくまで想像ですが・・・ここに祀られているのは「菊池武夫」氏?
菊池武夫氏の出身に、宮崎と書いてあるものがありますが、宮崎のどこかは、わかりませんでした。
しかし、もし都城の、この近辺の出身であったとすると、地域の英雄。ただ、終戦後、A級戦犯としてとらえられています。(ただし、不起訴処分で釈放)
地域の英雄を祀りたいが、戦犯としてとらえられたことも有り、当時の社会情勢としておっぴらにお祀りできない。で、三股の御年神社から分霊(してもらったかどうかはわかりませんが)の形をとり神社を作って、合祀した・・・。だから、神社の形はとっているけど、建物が納骨堂的になっている。
繰り返しますが、あくまで想像の話です。菊池武夫氏はWikipediaなどを見ると、熊本出身の方が説得力ありそうですし、神社の鳥居に書かれてあるのも、鳥居が作られた日であって神社自体はもっと古くからあったのかもしれません。
ただ、出身地に関してはともかく、菊池武夫氏が、熊本の菊池氏の直系であることは間違いなく、熊本にはこの武将を祀る「菊地神社」があります。
何にしても、謎の神社です。
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